Oxonian’s

韓国の大学で働いてます。EBSラジオ『たのしい日本語』も担当中です。

慶應時代、はじめて劣等感を感じた頃

ここ最近は、依頼された原稿 (入門書の一章) の執筆作業を行なっています。(ただ、査読があるので、僕が書いたものが受理されるとは限りません。) 内容は、僕が修士課程に在籍していた頃に取り組んでいた分野を概説することになっています。

 

僕は博士課程にすすんでから少し分野を変えたので、修士の頃の分野はそれ以来、あまり本格的には取り組んでいませんでした。博士課程を修了してからは、さらに別の分野に取り組んでいたので、ますます遠ざかっていました。

 

で、このタイミングで修士の頃の勉強に戻りました。修士の頃、僕は慶應だったので三田キャンパスだったわけですが、そこで先生の講義を受けながら読んでいた論文。今、読み返すと、とてもよく練られた論文であり、そして、とても興味深い。

 

三田の、大学院棟の、あの教室。あそこで、読んでいたなあと懐かしくなる。

 

当時も、この論文を読んでおもしろいな〜とは思っていて、だからこそ、その本格的な勉強のためにイギリスに渡ったわけですが、、、今、読み返すと、新たな発見がある。

 

こう書いていると、昔を懐かしんでいるように見えるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。というのも、学業面では慶應時代が一番辛かったからです。

 

小学校から大学までは、一応、優等生のような感じで来たので、それまで劣等感を味わったことはあまりありませんでした。唯一あるとすれば、大学受験に失敗したことくらいでしょうか。ただ、その時だって、自分の能力の低さや知識の少なさに挫折したわけではありませんでした。

 

でも、慶應の時は違いました。意気揚々と院に入ったものの、周りの方々との勉強量や知識量のギャップに打ち負かされ、事務的な作業やパソコンの扱い方などでさえも、あまりにも周りについていけていない自分がいました。

 

慶應の院は二年間でしたが、その間、先生に褒められた経験は一度もありません。結局、良いところがほとんどないまま修論を提出し、その分野の先駆的な機関であるロンドン大学に留学する形となったのです。(自分でも実力のなさを痛感していたので、イギリスでも修士から始めました。)

 

初めて、自分に少しだけ自信が持てたのは、留学後、指導教授との議論を通してでした。お世話になっていた指導教授は2人いましたが、そのうちのお一人が、まさに僕が慶應時代に読んでいた、冒頭に述べた論文の著者の先生です。その分野では世界的な権威の先生ですが、僕なりに (たまには) おもしろい意見を言うことができて、その時には褒めていただいたのです。そして、その分野に関して修論を書き、当時の自分としては初めて満足できる論文を書くことができました。(まあ、「満足できる」と言っても、完全に満足したわけではないですが。)

 

このような思い入れのある研究分野について、僕が概説をお願いされたというのは、とても嬉しいことで、慶應時代やロンドン大学時代を懐かしく思いつつ、、、しかし、やはり慶應時代に感じた劣等感も思い出してしまいます。さすがにあれから時間もかなり経ち、その間に研究者として (それなりには) 成長した (と思う) ので、劣等感は和らいではいますが、でも、今だに思い返してしまいます。

 

なんか、書いていてネガティブな雰囲気になりそうな感じなんですが、でも、不思議とそういうわけでもありません。やはり、以前よりは余裕が出てきたということでしょうか。

 

とにかく、今は原稿執筆に集中して、できる限り良い概説原稿に仕上げたいと思います。