Oxonian’s

韓国の大学で働いてます。EBSラジオ『たのしい日本語』も担当中です。

別れとこれから

もう先々週のことになるが、悲しい別れがあった。

2017年8月19日、母方の祖母が亡くなった。
祖母とは離れて住んでいたが、日本に帰る度に会いに行っていた。
祖母はいつも優しく迎えてくれて、
30半ばになった僕にさえも、お小遣いをくれていた。

お盆の時に会ったばかりだったのに、急な出来事だった。
お盆の途中で体調が優れなくなり、入院したのだが、
90年以上の人生の中で初めての入院だったという。
最後に会ったのは15日、その時には少し辛そうだったが、
またすぐに退院して会えると思っていた。
僕は16日に韓国に戻り、19日に訃報を聞いたのだ。

20日の午前の便で急いで戻り、翌日にお通夜、翌々日に告別式だった。
悲しいのだけれども、亡くなったということが実感できず、
告別式の時、いったい誰の葬儀をしているのかと思った時もあった。

母は三姉妹で、それぞれ二人ずつ子どもがいる。
つまり、僕と妹、そして、母方の従兄弟が4人いる。
小さい頃は、毎年、お盆とお正月には会って遊んでいた。
それから、従兄弟が社会人になると、皆で会える機会はなくなり、
最後に6人が一度に会ったのは10年以上も前だった。

今回、告別式の時に、6人全員が再会することができた。
これは、おばあちゃんからの贈り物だったと思う。
そして、おばあちゃん家の庭で、従兄弟の子どもたちが遊んでるのを見た。
これって、僕らの20年以上前の光景だ。
あの時の、従兄弟たちで遊んだ楽しい思い出が、
次の世代にしっかりと受け継がれているのだと感じた。

優しかったおばあちゃん、心からありがとう。
天国で、おじいちゃんと一緒に、安らかに過ごしてください。


今回のブログ記事を書いていて、この機会に一緒に書きたいことがある。
今まで、いつ書こうかと思っていたのだけれど、
なかなか決心がつかずにいたことだ。

それは、去年、2016年9月15日。
父方の祖母が亡くなった。

昨日 (2017年8月26日)、一周忌があったのだ。
あれから1年近く経つのだけれど、正直、
祖母が亡くなったことが、まだどこかで信じられずにいる。

おばあちゃんは、いつも僕の味方だった。
思い起こすエピソードはいくつもあるのだけれど、
例えば、僕が初めて留学した時の、渡英の前日。
スーツケースにうまく荷物が入らなくて、イライラしてしまい、
夜中に大きな音を出してしまった。
荷物を整理していた場所は、おばあちゃんの部屋の反対側で、
物音で、おばあちゃんを起こしてしまった。
でも、おばあちゃんは、怒るどころか、「うまく入らないのか?」
って優しく聞いてくれた。

イギリスに留学する前は、「孫がそんな遠いところに行って、
心配になっちゃうよ」と、悲しそうな顔で言ってくれた。
最初のイギリス留学が終わった後「1年くらい、どうってことないな」
と笑顔で言ってくれた。

その1年後、もう一度イギリスに留学したのだが、
二回目のイギリス留学は4年以上にもなり、
日本に帰れたのは年に1~2回だった。
日本に帰省する度に、イギリスに戻る日の朝は、
少し涙ぐんだ目で僕を見送ってくれた。

韓国に住み始めてからは、日本から近いせいか、
以前ほどには涙ぐんだ目ではなかったのだけれど、
僕を見送ってくれる時は、どことなく物悲しい感じだった。

僕が最後におばあちゃんに会ったのも、僕が韓国に戻る日の朝。
この時は、妻(当時は婚約者)を紹介できて、良かった。
また、妹が出産し、1週間強だが、ひ孫と一緒の時間も過ごすことができた。

いつも僕の味方で、優しかった、おばあちゃん。
天国で、おじいちゃんと一緒に、楽しく過ごしてください。


僕は、父方の祖父にも、母方の祖父にも、あまり孝行ができなかった。
だから、祖母には孝行したいと思っていたのだけれど、
勉強や仕事が大変で心に余裕がない時もあり、
祖母に十分な孝行ができなかったかもしれない。

それが悔やまれるが、日々、祖父母のことを思い返し、感謝していきたい。
本当に良い祖父母に恵まれた。
おじいちゃん、おばあちゃん、ずっと大好きだし、尊敬しています。