Oxonian’s

韓国の大学で働いてます。EBSラジオ『たのしい日本語』も担当中です。

夢の第一歩

僕の母は小学校の教師をしている。そのせいもあってか、小学生の頃から友だちに勉強を教えるのが好きだった。小学校の頃は漠然と「先生になりたいな」と思っていた。

この漠然とした夢は中学の時も変わらなかった。強いていえば、当時「中二病」にかかっていた僕は「将来の夢は小室哲哉」と考えてた時期もあるが、それを除けば先生になりたいと思っていた。

高校生の時は、先生にもなりたいが、英語を使った仕事をしたいなあとも思った。当時は受験などで、将来の夢よりも目先の大学のことで頭がいっぱいだったが。

大学生になり、僕はフランス文学科に入学した。第二外国語ではロシア語を専攻したため、大学では英語を習わなかった。これではいけないと思い、そして受験英語ではなく英会話を習いたいと思い、英会話学校にも通った。この頃は、英語とフランス語の通訳になれたらなあ〜なんて考えたりもした。

大学3年になり、院に進学したいと本気で考え出した。そして、将来は大学の先生になりたいなと思った。アカデミックの世界がどれほど厳しい世界かも知らずにそう思ったのだ。

実際に院に進学し、都内で修士課程に在籍した。僕は大学時代は先生によく褒められたりもしたので、ある程度の自信を持って臨んだ。しかし、いかに自分が不勉強であるか、いかに甘い考えを持っていたかを身にしみて感じた。辛い2年間だった。けれども、やはり博士課程に進学したい、そして大学の先生になりたいと思っていた。

都内で修士をしているころ、どうしてもロンドン大学に留学したいと思った。僕が当時採用していた理論が、ロンドン大学で集中的に研究されていたからだ。僕は両親の援助を受けて、ポンドが高い時期に一年間留学させてもらった。僕は自分がまだ博士課程に行けるレベルではないと確信していたので、もう一度修士課程に進んだ。

ロンドン大学修士課程は一年間のコースだったが、講義を真剣に聴き、議論をし、二人の恩師から懇切丁寧な指導を受けながら修士論文を書き、初めて、ある程度の自信をつけることができた。

これでようやく博士課程に行けるかなと思った。諸事情がありロンドン大学修士を修めた後は日本に一年間帰国したが、その翌年にイギリスに戻った。このブログのタイトルにもなっているが、Oxonian としてオックスフォードで博士課程を始めたのだ。

博士課程に来た以上、やはりアカデミックの仕事に就きたいと思っていた。しかし、この世界で職を得るのがいかに厳しいか、当時の僕には分かっていなかった。

博士課程では修士課程の時とは少し研究領域を変えた。そのせいもあり、最初の一年間は不安定で、また自信を失ってしまった。それが2年目からだろうか、少しずつではあるが前進していると感じることができた。

博士課程4年目、博士論文執筆と平行して就職活動も始めた。ここで、本当の意味で、いかに厳しい世界で生きて行こうとしているのかを実感した。応募できるところにはできるだけ応募したが、どこも書類で門前払い。もう日本に帰るしかないかなあと思った。

そんな時、2014年の年明けからご縁でロンドン大学で非常勤講師をさせて頂くことになった。2013年の年末に博士論文の口頭試験を終え、年明けからロンドン大学で勤務し始めた。ただ、これは非常勤なので「大学の先生になる」という夢が叶ったわけではない。

ロンドン大学で教えつつ、就職活動を続けた。世界中、イギリスと日本はもちろん、他にも英語圏であれば応募し続けた。ポスドクも視野に入れていたのだが、やはりどこも書類で門前払い。そんな中、カナダの大学だけは面接に呼んで頂いた。これはとても幸運なことで、とても貴重な体験をさせてもらえた。結果は不採用だったけれども、とにかく貴重な経験をさせてもらった。

ビザの関係でイギリスに滞在できる期間も限られている。とにかく、応募できるだけしてみよう。駄目でも、それで人生が終わるわけではない。それに、多くの方々から「就職は縁ですよ」と言われてきた。だから、その巡り合わせが来るまで応募しようと思った。

そんな中、今僕が勤務している韓国の大学が僕を採用して下さった。正直、信じられなかった。もちろん嬉しいのだけれど、それを実感するまでに時間がかかったのだ。これで、ようやく「大学の先生になる」という夢に向かうことができたのだ。

昨日、初めて、本格的に授業をした。前回はオリエンテーションだったので、実際に授業をしたのは昨日が初めてだったのだ。そして昨日の夕方には学生さんと先生方が集まる総会があり、そこで自己紹介をさせて頂いた。これで、ようやく「大学の先生になる」という夢の一歩が始まったのだ。

でも、その一歩は決して喜びと感動だけに満ちあふれていたわけではない。初めて授業をして、楽しさとやりがいを覚えつつも、自分のパフォーマンスに満足することができなかった。今後、改善しなくてはいけない点がいくつもある。この気持ちを大切にして、これから、より良い授業を求めていきたい。

この大学に赴任することができて、本当に良かった。先生方、学生のみなさん、本当に良い人たちばかりだ。また、待遇の面でも、本当に寛大なお心配りを頂いている。このご縁と皆さんの優しさに、心から感謝します。

今思い返すと、院生の頃は色々と不安定だった。研究のこと、就職のこと、その他色々なことですぐに落ち込んだりしていた。これからは、なるべく一喜一憂せずに努力を続けていきたい。

なんか、今の思いを書いていたら結構な長文になってしまった。このブログ史上一番長い気がします。読んで下さった方、ありがとうございます!